Block House

exhibition

「Beauty Of Darkness」 -西田美貴子の差し出した夜の日本画-

2015年05月22日 > 2015年05月31日
exhibition

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「Beauty Of Darkness」
-西田美貴子の差し出した夜の日本画- £

「Darkness」の照らし出すもの、曖昧さや秘密が「陰翳」という暗闇の光線によって蘇る、あなただけが観ることのできるもの、西田美貴子の夜の日本画の差し出した夜の時間の中であなたがみているものと私がみているものは果たして同じなのだろうか?


私の名はかつてノラであった、今の名前は覚えていない。


私の記憶に間違いがなければ、ノラはよくフェリーニの「8.5」という映画をみていた、ノラはどちらかと言えば同じイタリア人作家の中ではルキノ・ヴィスコンティの描き出すリアルからは程遠い倒錯したリアリズム映画を愛していた、フェリーニの道化じみた大げさな身振りではなくて、ヴィスコンティの日常のリアルはあまりにアン・リアルに違いなく、それをリアルに写し取った映画はまるで神話世界を覗きみるみたいに甘美な背徳感に満ちていた、ピチピチ。


ところがある日、目の前に現れたフェリーニの「8.5」らしき作品はクールしていた、「白」が美しいモノクローム世界に充満して、美術にも衣装にも極めて意識的に多用された「白」が黒と白の色彩グラデーションの階調の範囲を逸脱してしまって、色彩であることを超えた「何か」としてたち現れ存在していた。


もはや「白」とは呼ばれない独自の存在感を得た質感がとても美的に計算されたサウンドトラックと響きあって、その光の洪水の、押し寄せるハレーションの波動がイタリアの地中海を隔てて繋がるアフリカ大陸の乾いた、とても乾いた風を呼び寄せていた、とてもとても渇いた世界、水とは無縁の。



「死人に飲ませる水」というものがあるとすれば、そのとき私は死人の一歩手前であった、船の甲板から真っ黒い夜の川の流れに飛び込む瞬間になって、私はノラであった記憶を呼びもどしていたのだった。



頭半分がフェリーニの「白」の残像に満ちてピチピチしているのに、身体の大半と頭の残りは川の中を漂っている、川の水面のかなたに月の光がぼんやりと揺れうごいて、時間が止まっていた、たぶん永遠に。


時間の止まった無意識の大陸の時間、無意識が流れて、父島の海亀研究所へ行って、ボニーアイランドで遊ぶ、まるでゴーストタウンみたいな街並みとの対比が思い浮かぶ、そして私は沈むでもなく浮かぶでもなく西田美貴子の世界を漂っている。


コーランの原典がこの夜(あるいはこの世)の創造以前に存在したエクリチュールであることに似て、西田美貴子の夜の日本画は太古へと遡り、古代魚が頭の中を泳ぎまわる無意識の地層へとみちびいてゆく、だれも観たことがなく、あなたが観るもの、もはやそこに規則性や法則は通用せず、月光に支配された女の生理が渦巻いている。

∃∀

ラヴェルが「夜のガスパール」を作曲したのが1908年のこと、新たな電灯設備の登場によって「夜」があらたに解釈され直され、暗闇の生々しさがノスタルジックに想起される時代、トルコの映画作家であるセミフ・カブランオールの「蜂蜜」はそれから一世紀の時間を経て大胆な「暗さ」の表現に成功している。


たぶん、どこかの室内、真っ暗な室内で蠢くなにか、そのなにか、それは衣服をつけた身体の一部分、身体の動きの法則性が極限的な抽象の暗闇の谷間へと落ちてゆく画像の表現性を押しとどめている、それにしても「暗闇」の中ににポッカリ小さな島のように浮かんで見える色づけされた身体の断片のカラー画像の美しいこと、その画像には無限的な色彩の階調が現れて、同時に澄み切った湖の湖面を覗き込んだ私の驚きのような、あるいはまだ2つのドイツが存在した時代、ワルシャワの古びたアパートの一室で「演じない映画女優」であったドミニクと小さな丸テーブルを挟んで向かい合い、私が拙いフランス語で会話とコミュニケーションを試みながら束の間だが見つめることのできた彼女の瞳への驚き、その瞳のどこまでも続く果てしない深さに漂う無情感、そこには「演じない映画女優」ドミニク自身を遥かに超えたスケールの宇宙が驚きとして存在した、見ることの、感じることの多様性とコントロールできない偶発性を受け入れる美意識というもの。
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西田美貴子の差し出した夜の日本画、あなたの瞳はきっと覗かれる、メシャンなムードを漂わせた、官能的で神経のいきとどいた手つきによって、西田美貴子によって。
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「私」は悪魔。

ヤマモトシゲキ・デコラティヴ




『ある預言としての20155301850』


そっとそっと優しく積み重ねられてきたものが現れます、2015年5月30日のこと。★

西田美貴子によって夜の日本画が差し出され、西田美貴子の夜を見つめる瞳が「女」の内側に差し入れた一筆の光が発光し始める18時50分のこと。


舞踏家川本裕子さんをお迎えし、アコーディオン伊藤ちか子さん、ギターtamakiさん、まるで存在しないかのごとくのデコラティヴ・エアー・ヴォイスを加えてはじまる日没の預言。


あなたの瞳に宿る光が日没後の空間を照らし出す、お待ちしています。


£2015年5月30日土曜日18時50分@ブロックハウスB1£





-Very Special Thanks-
β

Space Lighting Design§ 山口明子
Щ

Space Sound Design§ tamaki

κκ

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