Block House

exhibition

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華雪 個展『うつろう』

2016年12月02日 > 2016年12月20日
exhibition
華雪 / Kasetsu
Open 13:00-20:00 Closed on Monday
Opening Reception & Performance: December 3rd,19:00-21:00
企画:アイランドジャパン株式会社

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6-12-9 BLOCK HOUSE 4F
6-12-9-4F Jingumae Shibuya-ku, Tokyo 150-0001 JAPAN
www.blockhouse.jp
【MESSAGE from ARTIST】
ことばは、わたしたちの手先や舌先で、書かれたり発声されたりしながら、わたしたちが気づかない間にもすこしずつすこしずつうつろう。

ふだん、と話しはじめる。
かつて「絶えないこと」である〈不断〉は、いつからか「いつものこと」である〈普段〉になった。
好吃、と話しはじめる。
「口がなめらかに動かないこと」である〈吃〉はいつからか「食べること」になった。

古代中国で漢字がつくられたとき、そこにはいくつかの方法があった。
その中に、音だけあってまだ文字のないことばをあらわすために、同じ音の別の字を借りて当てる仮借という方法があった。
ひとまず借りて当てたのである。
それはあるときが来れば、改めなければいけなかったはずである。
けれど、それはどうしてかそのままになってしまった。
その文字を、わたしたちは“正しい”ものとして、いま用いる。

20代のころにサミュエル・ベケットの文章に出会った。
そのことばの連なりが読むひとになにを伝えているのか長くわからずにいた。けれども読む度に、ここで描かれる「花」は必然とそこにあって、記憶に鮮烈な光景を印象深く残す。
あるとき、この「花」もまた仮借なのかもしれないと思ったとき、この文章の景色が、それまでかけられていた薄い幕がいっきに剥がされるように違って感じられた。
それはすこしばかりおそろしくも思った。

わたしたちはうつろう。ことばもうつろう。
そしてそれは絶えることのない、いつものことである。


わたしたちは花を食べて生きていた。これは生命の糧。彼は立ち止まると前かがみになるまでもなく花弁を一握りむしり取る。それからもぐもぐと噛みながら歩き出すのだった。花弁はひっくるめて言えば鎮静作用があった。わたしたちはひっくるめて言えば静かだった。ますます静かになっていった。すべてが静かだった。この静寂という観念は彼に教わったものだ。彼がいなかったらわたしはそれを知らずじまいになるところだった。さあこれから全部消してしまおう、花だけを残して。もう雨もない。もう土饅頭の円丘もない。あるものはただお花畑のなかを足をひきずって歩いているわたしたち二人だけ。これでたくさんわたしの老いた乳房が彼の老いた手を感じている。
サミュエル・ベケット「たくさん」(1966)片山昇訳


【プロフィール】
書家。1975年京都府生まれ。
92年より個展を中心に活動。
「文字を使った表現の可能性を探ること」を主題に、国内外でワークショップを開催。舞踏家や華道家など、他分野の作家との共同制作も多数。近年は「高橋コレクション」をはじめ、現代美術の場でも作品発表を重ねる。
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